着物お仕立て&お直し com、一級和裁技能士の西澤伸弥でございます
いつもご覧下さり、ありがとうございます
カラフルでポップな雰囲気のパッチワーク着物です
素材的に面白い着物ですが、かなり着込んだせいか?ほころびや裾切れしていたのと、お仕立て方が「関西仕立て」でしたので、この際、全体直しをして八掛・胴裏取替えしてくださいとなりました
着物のお仕立てには大きく分けて「関東仕立て(東京仕立てとも言います)」と「関西仕立て」があります
関東仕立ては寸法直しや裏地の取替えなどが容易にできるようにというのを前提に考えられた、効率よく、尚且つ、合理的なプロ仕様の縫い方です
一方、関西仕立ては家庭裁縫の延長上にある縫い方で、一言でいうと着物の形になっているだけで、寸法直しをするには大掛かりにほどかなければならない素人っぽい縫い方です
リサイクルで関西仕立てを買ってしまうと大変です・・・最悪の場合、全部ほどいて、一から仕立て直しなんてこともあります
しかし、関西仕立てを見分ける簡単な方法があります
着物を裏返して、衿裏の縫い目を見てください・・・白い裏地なのに表地の色で縫っていたら関西仕立てです
くれぐれも、このような縫い方をしたリサイクル着物はお買い求めになりませんように~
話しは元に戻りますが、では何故、関西には関東仕立てが有るのか?・・・それは約百年前の1923年(大正12年)に起こった「関東大震災」に由来します
当時、東京は「東京府」と呼ばれてました
その東京府の町が未曽有の災害により壊滅的な状態になったため、当時、東京近辺でお仕事をしていた関東仕立て(東京仕立て)の職人が大阪に流れてきて、関東仕立てが広まったとされています
因みに、私の裁縫の一門のルーツは、肥後熊本藩主だった肥後細川家のお抱え仕立て師です
江戸上屋敷に詰めていた仕立て師が廃藩置県でお役御免となり、その後、東京府で裁縫業を営んでいましたが関東大震災で罹災して、大阪に移り住みます
そして、大阪市南区三津寺筋で「中島裁縫所」を起こして、そごう百貨店の専属和裁士になります
昭和にはじめに、その中島裁縫所に弟子入りをしたのが、私の師匠である「倉 修(くら おさむ)」で、海軍復員後に「倉和服裁縫研究所」を起こして、大丸と高島屋の専属和裁士になります
その倉和服裁縫研究所に弟子入りしたのが私です・・・三代で約百年の歴史ですね~
胴抜き付下げ/お仕立て 香川県 A.Z様
振袖/袖丈直し+袋直し 埼玉県 S.A様